
映画【楽園】観てきました。
映画【楽園】の感想・レビューを、核心に触れない程度のネタバレも含めつつ、書いていきます。
ハラハラ、ドキドキ、テンポの良い
サスペンス……。
ではありません!!!
噛み締めて味わってじんわり考えたい
ヒューマンドラマです。
(※だと、私は思う)

映画【楽園】をレビューサイトでチェックすると、「暗い、重い、わかりづらい」といった声もありますが、私は好きなタイプの映画でした。
このページでわかること
映画【楽園】は、12年前に起きた未解決幼女誘拐事件と同じ場所で起きた2つの事件をめぐるサスペンスドラマ。
- 少女誘拐事件の容疑者と疑われる青年(綾野剛)
- 誘拐される直前まで一緒にいた少女(杉咲花)
- 限界集落内で孤立、心が壊れていく男(佐藤浩市)
それぞれの人生が交錯していく姿を描いています。
吉田修一の短編小説集『犯罪小説集』(全5編)に収録された2編「青田Y字路」「万屋善次郎」が原作です。
『犯罪小説集』残り3編もおもしろいし、読みやすいですよ。
まだ読んでいない方はぜひ♪

ちなみに映画【楽園】は、第76回ヴェネツィア国際映画祭公式イベント「Focus on Japan」正式出品作品です。

のどかな田園が広がる地方都市。
学校帰りのY字路で、1人の少女が失踪した。
失踪した少女・愛華と直前まで一緒に遊んでいた親友の紡(つむぎ)。
この事件で受けた心の傷が癒えぬまま暮らしていた。
そんな時、紡は、孤独な青年・豪士(たけし)と知り合う。
お互い幼少期に受けた心の傷、不遇な境遇に共感しあう二人。
ところが、事件から12年後、かつての愛華失踪事件と同様、1人の少女の行方がわからなくなってしまう。
愛華の祖父・五郎を中心に、住民たちは少女を探す中、12年前の犯人は豪士ではないか?と疑惑が膨らんでいき事態は思わぬ方向に動いていく。
一方、Y字路近くの限界集落に暮らす善次郎は、亡き妻を思いながら、愛犬レオと穏やかな日々を送っていた。
集落を盛り上げようと村おこしを計画するのだが、歯車が狂い始め、村八分の状態に。
善次郎の心は、徐々に壊れていく。
2つの事件、3人それぞれの運命。
幸せを追い求め進んだその先に楽園はあるのかー。
公開日:2019年10月18日 製作国:日本 上映時間:129分
監督・脚本:瀬々敬久 原作:吉田修一
出演:中村豪士(たけし)綾野剛・ 湯川紡(つむぎ)杉咲花・ 田中善次郎佐藤浩市・ 藤木五郎柄本明・ 野上広呂(ひろ)村上虹郎・ 黒塚久子片岡礼子・ 中村洋子黒沢あすか・ 藤木朝子根岸季衣・ 田中紀子石橋静河
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原作『犯罪小説集』を読んだあとに本作を観ました。
小説ともからめつつ、 映画【楽園】の感想をざっくり3つにまとめると……。
考えさせられる
楽園はどこにあるの?
ハマり方が絶妙
キャストが全員良い!
登場人物&ストーリーが交錯
それぞれの視点で観る必要アリ

では、ことはの感想を一つずつ書いていきます。
すべて私の個人的な解釈によるものですので、「ちょっと違うんだけどっ」っていう部分もあるかと思いますが、お心広く読み流してくださいね☆

楽園はどこにあるか?
受け身では辿り着くことのできない、自分自身でしか探し出せないところに楽園はある、そう思いました。
原作2話、それぞれのタイトルは、
- 「青田Y字路」(あおたのわいじろ)
- 「万屋善次郎」(よろずやぜんじろう)
と、かなり地味め。
読んだ内容からしても、映画化にあたり、どうして【楽園】というタイトルがつけられるの?
正直わからなかったんですね。
私が購入した『犯罪小説集』6版には、本作でメガホンをとった瀬々敬久監督の解説が寄せられています。
そこに、【楽園】とタイトル付けした理由も述べられているのですが、読んでも「なんで楽園なの?」とピンと来ませんでした。
小説の中のどこにも“楽園”を見いだせなかったんです。
映画を観終わっても……
ストーリー追うだけでは「あれ?楽園ってあったっけ?」って。
のどかな田園風景、緑あふれる森。
環境は美しくあるものの、登場人物の中で、楽園に暮らしている者はいない。
いやいや、楽園というよりむしろ地獄……。
だったら映画のタイトル
「“地獄”にすればいいんじゃんっ」

とも、実は思えなかったんです。
【楽園】というタイトルであるからには、「重くてツライ話だったね、以上」で終わらせてはいけない。
それぞれの登場人物にとって【楽園】とは何か、どうしたら辿り着けるのか。
そんな風に考えることができて、映画を味わい深くしている、って私には思えたんですね。
登場人物たちに寄り添っていくと、瀬々敬久監督が“楽園”とした理由がわかるような気がします。

主役である3人、綾野剛さん、杉咲花さん、佐藤浩市さんはもちろん、脇を固める役者さんたちもハマり方絶妙です。
豪士(たけし)の母親は、東南アジア出身。
偽物のブランドバッグなどを売って生計をたてています。
幼い頃から差別されてきた豪士。
不遇な環境で育ったせいか、うまく自己表現ができません。
「膝、怪我してるの?」っていうくらいの内股、猫背、滑稽な走り方……。
母親が悪い輩に絡まれ殴られているのを目の前にしても、助け出せない弱々しい青年。
そんな豪士は、12年前に“Y字路”で起こった少女誘拐事件の容疑がかけられています。

「新宿スワン」のタツヒコや、「日本で一番悪い奴ら」で悪い警官を演じた“オラオラ系綾野剛 ” も、「ピースオブケイク」で見せた“人たらし綾野剛 ” も、完全封印!(笑)
同じく吉田修一原作「怒り」で演じた、センシティブなゲイの青年が、若干近いかな?
豪士(たけし)は、あるきっかけで、紡(つむぎ:杉咲花)との距離を縮めます。
感情表現は下手ですが、豪士の心優しい一面に触れる紡。
紡は、確信は持てないものの、「愛華を連れ去ったのは豪士ではない」と信じたいようでした。

紡が広がる田園を前に、「自分のこと、誰も知らない土地に行きたいか?」と豪士に問いかけるシーンがあります。
それに対し豪士は、「どこへ行っても一緒」と答えたのが印象的でした。
12年前に行方不明になった少女・愛華。
愛華と行方不明になる直前まで一緒にいた親友の紡。(杉咲花)
愛華ともう少し一緒にいれば……。
私だけが幸せになっていいんだろうか。
自分を責めながら、紡は成長していきます。

結果的には、最後となってしまった、紡と愛華の帰り道。
二人は、ささいなきっかけで、喧嘩ほどではないけど気まずい雰囲気で、あの “Y字路 ” で別れた背景があります。
だから紡は、余計に悔いが残っているんですね。
そんな中、12年前同様、少女が行方不明になるという事件が起こります。
真っ先に豪士が疑われ、住民たちに追い詰められた豪士は、とんでもない行動を起こします。
豪士を信じ始めていた紡にとって、それは耐え難い出来事でした。

原作では、紡はそれほどフューチャーされていませんが、映画では、物語をつなぐ重要な役どころとなっています。

柄本明さん、画面に出てくるだけで、“怪演”に見えてしまう圧倒的な存在感があります。
そして……こういうおじいさん、いる。
わかるけど…わかるけど、それ言っちゃだめじゃん!!
愛華だけが死んでどーしておまえ生きてる?
引用:映画楽園より
あいつが(豪士)犯人だって言ってくれー
引用:映画楽園より
行方不明になってしまった愛華の祖父・藤木五郎を演じるのは、柄本明。
孫可愛さに、紡にそんな言葉をぶつけてきます。
原作でも映画でも、愛華は戻ってこない未解決の状態ですが、かといって遺体が発見されたわけではありません。
生きている可能性だって0じゃない、ましてや何一つ悪いことをしていない紡にそんなこと言うなんて……。

五郎にとっての楽園は、愛華がいなくなる前に戻ること。
それが不可能なら、愛華が戻ってくること。
それも不可能なら、せめて犯人に罰を与え、この不確かな状況から抜け出すことでしょう。
いずれも無理なら、五郎の楽園は、 現世では存在しないのかも……。

原作を読んだ時は、正直、佐藤浩市さん、が善次郎???
正直ピンときませんでした。
善次郎は、もっと冴えない、もさーっとした男の色気0だと思ったから。
豪士の起こした惨事を目撃していた善次郎。
善次郎は親の介護のため、限界集落に戻ってきた初老男性。
親を看取ったあとは、亡き妻を思いながら、愛犬レオと穏やかに暮らす日々。
集落の中では若手ということもあり、住民から様々な頼まれごとを引き受け、“万屋善次郎”と呼ばれていました。

映画では、原作にはない“大人の淡い恋らしきもの? ” も描かれています。
集落住民の娘で未亡人、 何かと善次郎のことを気にかけてくれる 久子(片岡礼子)と。
片岡礼子さん(あな番:ドラマ「あなたの番です」で、坪倉の妻役だった女優さん)、太ってないのに、ちょっとたるんだお腹とか、後ろ姿とか、その身体を自分でみつめてためらう?覚悟を決める?感じとか、すごーくリアル。
中高年のラブシーンって、妙に生々しいのね……
善次郎は、住民の賛同も得た上で、養蜂での村おこしをすすめますが、ちょっとしたボタンの掛け違いから計画がこじれていきます。
狭い集落、独特の人間関係の難しさ、また愛犬レオが住民に噛み付くというトラブルも起こり、善次郎は孤立していきます。
いわれないデマまで広がり村八分の状態、追い詰められ正気を失っていく善次郎。
誰も想像できなかった凄惨な事件が、集落で起こってしまうのでした。

善次郎が壊れていく姿は切なかった。
村独特の閉塞感、一度壊れてしまった人間関係から抜け出す難しさ……。
亡き妻との思い出を汚された時にとった善次郎の行動にはゾッ……。

その後、凄惨な事件を起こされてしまった村人たち。
被害者ではあるけど、至るまでは、加害者の側面もあった。
だからって当然の報いとは思わないけど、自分たちがしてきたことの積み重ねが大きく返ってきてしまったなぁ、と感じてしまいました。

本作で唯一、明るいキャラ・野上広呂を演じるのは村上虹郎さん。
紡に想いを寄せている広呂。
紡に素っ気ない態度をとられても、いつも紡を見守っています。
そんな彼にも大きな試練が訪れますが、立ち向かっていく広呂の姿勢に紡も少しずつ前を向こうとしていきます。

他、豪士の母・洋子を演じる黒沢あすかさん、カタコト日本語が絶妙だし、五郎の妻・朝子を演じる根岸季衣さん、認知症が始まった感じもリアル。
演者のみなさん、すごーく役にハマってる!
演技のぶつかり合い、迫力ありました。

もともと2編の短編をつなげたものですし、1人の目線でストーリーを追っていくのは難しいかも!
なぜかと言うと↓
映画【楽園】は、Y字路を起点に、2つの物語と時間軸、3人の人生が交錯しています。
「少女誘拐事件→豪士(綾野剛)」と「限界集落での出来事→善次郎(佐藤浩市)」。
加えて、“今”と“12年前”。
2つの物語をつなぐ紡(杉咲花)。

サスペンスではありますが、謎解きというより、ヒューマンドラマの側面が強い作品。
主役の3名はもちろん、登場人物それぞれの視点で丁寧に見ていくと楽しめると思います。
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まだ映画を観ていない方は、“+印”をクリックしないでくださいね。
用水路にかかる小さな橋を渡ったところに、白いバンが停まっている。愛華は気にもせず歩いていこうとしたが、荷台のドアが開いており、若い男が腰かけていた。荷台のダンボールには偽ブランド商品が詰まっている。
引用:犯罪小説集「青田Y字路」(吉田修一著)
映画にもありましたが、豪士と愛華は接触しています。
ただ小説のラストも、愛華から花冠を受け取ったところで終わっており、豪士が犯人なのかどうかはわかりません。
愛華が行方不明になった時、紡は止まっていた車が何色か聞かれます。
最初は「白」と答えたものの、「青」と言い直し、「どっちか、はっきりしろ」と詰め寄られるシーンがありましたよね。
原作にもあるように「白いバン」が停まっていたわけですから、紡が白と答えるのは想像できますが、“青”い車はどこから?
映画冒頭、田園が映し出された時、よ~く見ると青い車が走っています。
紡と愛華が、花冠を作っている時も、後ろ走ってます!
そして映画の後半、犬(善次郎に拾われたレオ)を捨てにきた車の色も“青”。
チラ見せだけど、こんなに青い車出す必要あります?

紡は青い車も見たのかもしれません、だとしたら犯人は……。
映画中盤、広呂と紡が飲んだ夜、繁華街を歩くシーンがありましたよね。
何組かの若いグループとすれ違いながら。
酔っ払って歩いていることもあって、ちょっとウヤムヤっとした映像になっています。
そして映画のラスト近くに、今度はハッキリ、同じシーンが。
「愛華」と呼ばれた少女がいて、紡はその少女を見ます。
そのタイミングで広呂からは、「紡の楽園を~」との言葉が。
- 愛華を思わせる少女(別人かもしれないし、紡のみた幻かもしれないけど)
- 映画タイトルでもある“楽園”という言葉が発せられる
とても重要なシーンだと感じました。
青い車に乗せられた愛華は、大人になり大都会東京で暮らしている?

車の件、あの夜の件、断定はできず、結局正解はわかりません。
ですが、「そうであって欲しい!」希望は残ります。

あくまでもことは個人の感じた評価です。
備忘録的に記しておきます。

そうそう!
エンディング曲の「一縷」(上白石萌音)スゴく良かった!
映画を観終わったあと、心が「ずーんっ」と重くなっているなか、何かに許されているような、そんな癒やしがあります。
この曲のおかげで、心がちょっと落ち着きました。

楽園じゃなければ地獄、地獄じゃなければ楽園。
そんなに両極端の世界に私達は生きていません。
多くの人は、楽園と地獄の間のどこかに、自分の居場所を見つけているんだと思います。
究極に追い詰められた豪士と善次郎。
一方は自分を、もう一方は他者に対して、破壊行動を起こしました。
善人でいたいと思っていても、集団に入ったとき、自分の正義を貫き通せるか。
悪人になりたくないけど、究極まで追い詰められたら、人を傷つけないと絶対に言えるか……。
映画【楽園】を観終わって、
- 登場人物それぞれの楽園とは?
- 楽園にたどり着けない者たちはどうすればよかったの?
- 自分にとっての楽園って?私はちゃんと楽園に向かって歩いてる?
そんなことを考えさせられました。